パレスチナ問題の中のイスラム パレスチナ問題の中のイスラム 講師 東京大学教授 長沢 栄治 平成17年10月11日 於:如水会館 【無断転記転載を禁ず】 社団法人 如 水 会 責任編集 |
◆内容目次
パレスチナ問題の現在
パレスチナ問題と政治的イスラムの関係
パレスチナ問題は宗教的問題ではない
パレスチナの現状、基本構造、本題、展望
現状と歴史の重み
アラファトの死と今後
オスロ合意とその後
ガザ地区
オスロ合意破綻以降
キャンプデービット会談決裂以降
停戦合意という転換点
シャロンの政策の背景
人口比の問題
オスロ合意失敗の原因
日本のかかわり
パレスチナ問題の基本的な構造
もしパレスチナ問題がなければ…
石油をめぐる争い
西欧近代的な国民国家となじまないイスラム世界?
イスラムの暴力と結びつく中東の政治
パレスチナ問題の長い歴史
問題の起源
民族的郷土
イギリスからアメリカへ
パレスチナ問題と現代中東政治
パレスチナ問題の衝撃
嘆きの壁事件
アラブ大反乱と民族運動の急進化
急進的、民族的政権の成立
パレスチナ問題とアラブ世界の民主主義
冷戦とパレスチナ問題
パレスチナ問題の宗教化
転機1:第三次中東戦争
転機2:イラン革命
転機3:占領下パレスチナ人の決起
自爆事件の頻発
講師略歴
パレスチナ問題の現在
ただいまご紹介いただきましたように、私は東京大学に来る前はアジア経済研究所に勤務しておりました。今回のフォーラムの講演者の中では、酒井さんが私の同僚でした。そもそも私が中東を研究するようになったのは、第一次石油ショックの影響です。その頃就職していたアジア経済研究所で中東研究のプロジェクトを立ち上げていたので、アラビア語を勉強し、中東を研究するようになったのです。その後30年近くやっています。
フィールドとしてはエジプトが中心で、そこから現代アラブの研究へと広めてまいりました。ということで、私はパレスチナ問題ウォッチングを行なう、すなわち毎日、新聞のニュースを継続的に分析する専門家ではないということを最初にお断りしておかなければいけません。今回は、アラブ研究の立場から、パレスチナ問題が中東やアラブ世界、さらには現代の世界を考える上でどういう意味を持つのかという問題の広がりをお話するのが狙いです。
パレスチナ問題と政治的イスラムの関係
パレスチナ問題は非常に複雑な問題です。複雑過ぎて一言で言うのは難しいのです。関与する政治勢力だけを見ても、アラブとイスラエルだけでもそれぞれ右から左まで、穏健派から急進派まで、さまざまです。しかもその相互の関係も難しいし、それをどう分析するかも難しい。さらにそれを取り巻くアメリカやヨーロッパ諸国、さらにイスラム諸国との関係など、さまざまな要素やアクターの分析が必要であり、パレスチナ問題は、まるでこんがらがった糸のように見えるのではないかと思います。
その中で一際鮮やかに見えるのが「イスラム」という糸です。日頃パレスチナ問題とか中東問題に接していると、絡まりあった毛糸の玉の中に一際鮮やかに見えるのが、イスラムの問題なのです。
今回のフォーラムのテーマは「イスラム」であり、「パレスチナ問題の中のイスラム」というタイトルも、今回のフォーラム全体の企画の責任者である一橋大学の加藤先生がお付けになったもので、私としては、パレスチナ問題の中のイスラムというより、パレスチナ問題の現在を考えること、とくに「パレスチナ問題と政治的イスラムの関係」についてお話ししたいと思います。
パレスチナ問題は宗教的問題ではない
パレスチナ問題では、イスラムが宗教的問題ではなく、政治的問題として現れてくるのです。それがどういう関係にあるか、両者の関係をお話します。
パレスチナ問題について、「イスラムという宗教が原因である」という誤解がしばしばあります。一方にユダヤ教があって、一方にイスラム教があり、その宗教の対立からパレスチナ問題が出てきたという誤解です。きつい言い方をすると、そういう嘘の情報を意図的に流して拡大している傾向があります。先ほどパレスチナ問題はこんがらがった毛糸の玉のように見えると言いましたけれども、問題をすっきり説明するために「宗教的な側面で説明してしまおう」という考え方もたしかにあります。
しかし私は、パレスチナ問題は、本来的には「中東で起きた宗教的な問題ではない」と思います。しかし、さまざまな経緯の中で、それが宗教と結びついてきました。さらには、パレスチナ問題がイスラム化して、ますます解決が困難な状況になってきた経緯をお話すると同時に、それがもたらした背景は一体どこにあるのかを考えてみたいと思います。
パレスチナの現状、基本構造、本題、展望
お話のポイントの1つは、パレスチナ問題が中東という地域の文脈の中で持つ意味についてです。そして中東からさらに広がった国際政治という文脈という、幾つかの違ったレベルの中で、もともと宗教的な問題ではなかったパレスチナ問題がイスラムとの結びつきをより強めてきた過程をお話することになります。
話の流れとしては、パレスチナ問題が今どういう状況にあるかという現状について話します。2番目には、パレスチナ問題の基本的な構造が一体どういうものかについて、私の理解をお示ししたいと思います。パレスチナ問題には立場によっていろんな解釈がありますが、なるべくすっきりと解釈するポイントはないかということでお話してみます。次が本論となり、そういったパレスチナ問題がどうしてイスラム化し、宗教化したかというお話をして、最後に展望ということで、今後どうなっていくかを考えてみたいと思います。
現状と歴史の重み
先ずパレスチナ問題は、現在どんな状況にあるのかを考えてみましょう。パレスチナ問題がこのような状況となり、非常に深刻化したのは、1948年のイスラエルが独立した第一次中東戦争から始まっています。イスラエルという国で出来て、多くのパレスチナ難民が生まれましたが、そこからパレスチナ問題が非常に深刻化していきました。パレスチナ問題はそれ以前からもありましたが、国際政治の大きな問題となってきたのは1948年以降なのです。
それから数えると57年くらいたっているわけです。日本の敗戦からが60年ですから、第二次大戦直後に起きた戦争というわけです。戦争中の疎開児童の方々がもういまは高齢になられていると同様、48年時代当時に難民として追い出された若い人達も、いまやかなりの年になっています。この57年の歴史は非常に重いのもがあります。今や第2世代、第3世代、第4世代の人がパレスチナ問題とさまざまな関わりを持っているわけです。家族代々引き続いてパレスチナ問題を背負い暮らしている人がたくさんいるということです。これは非常に大きな問題です。
一方イスラエルという国が出来てからすでに57年たっていますが、この問題も非常に大きなものがあります。長らくパレスチナ人を中心として、アラブの人たちはイスラエルの存在を認めず、こんな国がなくなればいい、ヨーロッパからやってきたユダヤ人はもともと住んでいたところに帰ればいいのだと思う人は今でも一杯いるのです。しかし、国家が50年以上続いているという現実は、非常に重いものがあります。これは、難民として50年以上暮らしているという歴史が重いのと同様です。一度できた国家の枠組みを壊すことがはたしてできるのかという問題の重みは非常に大きいのです。
十字軍の時代、かつてヨーロッパからキリスト教徒がやって来て、100年以上続くキリスト教の王国をつくったことがありますが、それと同様に、イスラエルという国も100年、200年経てばいつかなくなってしまうのだという人がいます。こういう人たちは、「5世代、6世代、7世代後には、我々はパレスチナを取り戻すのだ」と言っています。こういう言い方も話としてはありえますし、実際200年、300年後のことは分かりません。しかし、現在の世界の状況を考える限り、イスラエル国家が50年以上続いている歴史の重みを考えなければいけないのです。その重みを考えた上で、アラブ側もパレスチナ問題が今後どうなっていくかということを真剣に考えなければいけないと思うわけです。この「歴史の重み」 というのが大きな点だと思います。
アラファトの死と今後
昨年11月にパレスチナ解放運動を率いていたアラファト議長が亡くなりました。彼については、晩節を汚したという形で、日本や欧米のマスコミでも、財産を猫ばばしたとか、奥さんがお金持ちでどうのこうのとか、意図的な情報が流れたことが記憶に残ります。たしかにそういう形の厳しい批判にさらされる理由は十分にありましたが、しかしアラファトがパレスチナ建国の父という立場をずっと守ってきたことは重要な事実として評価しなくてはいけません。ただし結局、パレスチナという国をつくることができないまま亡くなったのですが。
彼は1929年の生まれとも言われていますが、この点についてはいろんな説があって分かりませんが、ともかくもう高齢でした。そして彼が代表する、60年代半ばくらいにパレスチナ解放運動、ゲリラ闘争によってパレスチナ奪還を目指すことを考えた革命世代の人たちも、いまや引退する時期になっています。現在のマフムード・アッバース・パレスチナ政庁首長(大統領と訳してもいいのかもしれません)も、アラファトの世代の一番下に属する人です。
そういう意味で、今はこれから新しい世代が国づくりを担っていく大きな節目を迎えている時代と言っていいと思います。この60年近い歴史の流れの中で、一体これからどういう勢力がパレスチナの国づくりの方向を目指していくのかは、まさに大きな問題になってきます。