信念なき人生の苦痛~師匠編第8章序章~ - 教育王♪さとりん日記
信念なき人生の苦痛~師匠編第8章序章~
以前、某所で師匠と密談したときの話です。そこでのテーマは「バランスよく生きるには」・・・・・でした。
熱くなったりクールになったり、攻めはじめたり守りに転じたり・・・・・日々の実践の中でいろいろな体験をし、その過程でバランスがとれたとき、人は自分の軸を知るというものでした。
その話をしていて、ふと感じたことがあります。
ここで人生論を打つつもりはないのですが(って結構打ってたりもしますが^^)、「自分の信念無き人生」って結構厳しいと思います。
信念なき道は、信念がある道より、「いばらの道」。
なぜならば・・・・・・信念が見えないと、早く進むことも難しければ、周りの 協力が得られないことも多いのです。。。
電気ウナギショックのバンド
楽天やメルマガでの出逢いは、時と機会を加速していくのですが、その出逢いを生かすには、まず自分本来のスタイルを自分なりにしっかり見据えておくことかな、と思います。
出逢いの中で自分のスタイルを忘れて、本来の自分の足場を見失うと、「バランスをとって生きる」「人と協力して生きる」どころの騒ぎではなくなるのではないかな、と自分自身で実感しています。
土台を失ってバランスを取ることなど不可能ですから。。。。。
これらのことは、出逢いが加速する中で自分も土台を見失いかけて、師匠に叱咤されてふと思い出したのです。
テーマを見失っていろいろなことをチャレンジしつつ驀進するのは、それは単なる「暴走� ��になることもあるんですね。。
と私はほとんど私の心はゆっくりと打っている話すことはできません
テーマが時とともに変わっていくことは成長なのかもしれません。
しかし、それはいまのテーマをじっくり消化してはじめて次のステップへいけるものなのではないかなと思います。
人生は短いですから、いろいろな経験を積むのは絶対に必要だと思いますが、そこにおぼろげながらでも「信念」を持っていないと、人生迷路に入り込んでしまうのかな、とも思います。
考えたらまずやってみる・・・・・しかし、その「実践」に「思い(信念)」と「スタイル(方向性)」「テーマ(目指すこと)」という羅針盤がないと、実践が活きづらいのかな、と思う今日このころです。
補記
なにやら、「えらそーなこと」書いていますが、私自身、いまだ確固たるスタイルも、信念も、テーマも、自慢できるほどのものではありません。
しかし、「こうなりたい」というものはあります� �
雨はこの退屈な町の鍛冶に懸命に落ちる
最初は、「こうなったらいいだろうな」くらいのスタンスから自分の土台を見つめなおすといいのかな、と独断ながら思います。
はじめから自分や物事をしっかり見据えるのは人間ですから難しいものです。
しかし、「観よう」と思えば見え始めて来るんですよね・・・・・スタイルも信念もテーマも。。。
はじまめるときにテーマ・信念やスタイルがなくてもいたしかたないと自分の中では割り切っています。^^
しかし、日々の実践の中で、それを観ていこうという意識がないと、場当たり的になりかねない・・・・そんな思いで書きました。^^
テーマや信念・スタイルがないからといって焦ることなく、まずは日々の行動や感情をじっくりじっくり味わいながら、自分を感じていけばいいのかな、とも思います。
テーマも信念もスタイルも、そうすれば、自然と見えてくるものなのかな・・・・・・と。
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