今でもしぶとく聴いてます: 宗教曲
今日は13日でかつ金曜日に当たります。13日はともかく、金曜日は古くはキリスト教圏では肉食は控えるとか男女の交わりも控えるというならわしがあったようです。十字架の受難を覚えて、という意味合いだと思います。13日のオカルト的な見方はいつごろから生まれたのかと思います。駐車場等で1番から順番に駐車位置番号をふっていても、4番、9番が欠けている場合が未だに見られます。時間貸しなら料金を精算する際に何番の位置に止めたか確認しなければならず、そんな時に欠番があるのは煩わしく感じます。不吉、忌まれる番号というのは日本だけに限ったことではありません。かなり昔、「侍ジャイアンツ」というアニメがあり、アメリカ先住民のメジャーリーガーが背番号を13にして、主人公のジャイアン� ��の選手が4を背番号にしていました。前者の場合、キリスト教とは限らないので番号に対して不快感は無いかもしれないのにと、当時思いながら見ていました。
ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルコレージ(1710~1736) 「スターバト・マーテル」
クラウディオ=アバド 指揮 ロンドン交響楽団員
オルガン:レスリー・ピアソン
ソプラノ:マーガレット・マーシャル
アルト:ルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニ
(1983年11月、12月 ロンドンで録音 DG)
そう、あなたが勝者である踊ることができると思いますこれはクラウディオ・アバドのロンドン交響楽団時代の名盤の一つで、楽団員から少人数のメンバーを選んで演奏録音しています。ペルコレージ生誕300年の今年に間に合うようにアバドは最近この曲と併せてペルコレージの作品を録音しています。ペルコレージの一生はバッハが活動した時期と完全に重なり、含まれています。
「スターバト・マーテル」の詩は、イエス・キリストの架けられた十字架の傍らの聖母マリアの悲しみを歌った詩として有名で、ペルコレージ以外にも多くの作曲家が曲を付けています。古くはジョスカン・デ・プレ、パレストリーナ、イタリアではヴィヴァルディ、スカルラッティ、ロッシーニ、ヴェルディ(聖歌四篇の中)、イタリア以外ではハイドン、シューベルト等が作曲しています。13世紀頃に作られたであろうとされていて、18世紀頃から「聖母マリアの7つの悲しみの祝日」の続誦に用いられています。ちなみに「7つの悲しみ」とは、「1.シメオンの預言、2.エジプトへの避難、3.イエスの行方不明、4.十字架の道にて御子との再会、5.十字架上の御死去、6.十字架より降ろされるイエス、7.イエスの埋葬」で、9月15日が その祝日です。今では単に「悲しみの聖母」と呼ばれることの方が多いようです。詩全体は、3行で1節の詩が20節集まってできています。
STABAT MATER ~ Sequentia ( セクエンツィア:聖母マリアの7つの悲しみの祝日の続誦)
第1曲:二重唱(ソプラノ、アルト)~詩の1節
第1節 ~ 悲しみに沈める聖母は涙にむせびて 御子の懸り給える 十字架のもとにたたずみ給えり
第2曲:ソプラノ独唱~詩の2節
DVDすべてのルビーは赤です第2節 ~ 嘆き憂い悲しめるその御魂は 鋭き刃もて 貫かれ給えり
第3曲:二重唱(ソプラノ、アルト)~詩の3節
第3節 ~ 天主の御独り子の 尊き御母は いかばかりか憂い悲しみ給いしぞ
第4曲:アルト独唱~詩の4節
第4節 ~ 尊き御子の苦しみを見給える 悲しみ深き御母は 悲しみに沈み給えり
第5曲:二重唱(ソプラノ、アルト)~詩の5-7節
第5節 ~ キリストの御母の かく悩み給えるを見て たれが涙を注がざる者あらん
第6節 ~ キリストの御母の 御子と共にかく苦しみ給うを見て たれか悲しまざる者あらん
第7節 ~ 聖母は イエズスが人々の罪のため 責められ むち打たるるを見給えり
第6曲:ソプラノ独唱~詩の8節
第8節 ~ 聖母はまた最愛の御子が 御死苦のうちに棄てられ 息絶え給うを眺め給えり
第7曲:アルト独唱~詩の9節
第9節 ~ 慈しみの泉なる御母よ われをして御悲しみのほどを感ぜしめ 共に涙を流さしめ給え
第8曲:二重唱(ソプラノ、アルト)~詩の10節
第10節 ~ わが心をして 天主たるキリストを愛する火に燃えしめ 一にその御心に適わしめ給え
第9曲:二重唱(ソプラノ、アルト)~詩の11-15節
第11節 ~ ああ聖母よ 十字架にくぎ付けにせられ給える御子の傷を わが心に深く印し給え
第12節 ~ わがためにかく傷つけられ 苦しみ給いたる御子の苦痛を われに分かち給え
AMCの画家たちは横断されている場所第13節 ~ 命のあらん限り 御身と共に熱き涙を流し はりつけられられ給いしイエズスと苦しみを共にするを得しめ給え
第14節 ~ われ十字架の側に 御身と立ちて 相共に嘆かんことを望む
第15節 ~ 童貞のうちいとも勝れたる童貞 願わくはわれを排け給わずして 共に嘆くを得しめ給え
第10曲:アルト独唱~詩の16-17節
第16節 ~ われにキリストの死を負わしめ その御苦難を共にせしめ その御傷を深くしのばし給え
第17節 ~ 御子の御傷をもってわれを傷つけ その十字架と御血をもって われを酔わしめ給え
第11曲:二重唱(ソプラノ、アルト)~詩の18-19節 *19節目の歌詞が元詩とは異なる
第18節 ~ 聖なる童貞女よ われの地獄の火に焼かれざらんため 審判の日にわれを守り給え
第19節 ~ ああキリストよ われこの世を去らんとき 御母によりて勝利の報いを得しめ給え
第12曲:二重唱(ソプラノ、アルト)~詩の20節
第20節 ~ 肉身は死して朽つるとも 霊魂には 天国の栄福をこうむらしめ給え アーメン
元詩の日本語訳(CD解説掲載・古い公教会祈祷文)を上記の通り曲毎に載せています。 歌詞が扱う内容は限定されていて、あまり変化に富んでいないと言うこともできます。これに曲を付ける場合は下手をすれば、陰気で退屈するようなものになりかねません。ペルコレージのスターバト・マーテルは、全曲が女性のソロかデュエットで、宗教曲に付き物の合唱曲がありません。したがって、壮大さ、劇的な起伏、あるいは神秘的な演奏効果が乏しい曲になります。しかし、最初から最後まで清らかな美しさで一貫しています。わずかな期間だけ咲く花か、朝露のような美しさがこの曲の魅力だと思います。作曲者のペルコーレジが26歳で亡くなっていて、この曲がその直前の作品であるから余計にそう思えるのかもしれません。このC Dのソリスト2名は素晴らしく、アバドが選んだだけのことはあります。
明日14日は、聖マキシミリアノ・マリア・コルベ(本名ライムンド・コルベ)の命日、祝日です。1971年列福、1982年に列聖され、肉体労働者、ジャーナリスト、囚人、薬物中毒者の守護聖人です。彼は、第二次大戦中にアウシュヴィッツの収容所内に収監されているとき、獄内で脱走者が出たことにより無作為に餓死室送りにされる一人と、自ら申し出て交替して餓死室へ行きました。餓死室で2週間生き延びた後に薬殺されました。生前は日本にも布教に来ていました。長崎市の本河内に修道院を設立しました。現在はコルベ記念館があり、今日の1、2枚目の写真は記念館にあった物です。彼は特に平和運動等をしていたわけではなく、聖母マリアへの信心、崇敬の念が強い一司祭でした。ということで、聖母マリアにちなんだ� �を取り上げることにしました。
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