「論語に学ぶ会」論語解説-こどもろんご かいせつ
けんもんだいじゅうし 376
〔原文〕
〔読み下し〕
微生畝、孔子に謂いて日く、丘、何為れぞ是栖栖たるものぞ。乃ち佞を為すこと無からんや。孔子対えて日わく、敢て佞を為すに非ざるなり。固を疾めばなり。
我々は幸福の価値がある方法カント
〔意訳〕
孔子様の先輩(せんぱい)で山(やま)に隠(かく)れて自給(じきゅう)自足(じそく)の一人暮(ひとりぐ)らしをしている微生畝(びせいほ)という人(ひと)が、「丘(きゅう)よ(孔子の名(な))、お前(まえ)はどうしてそんなにあくせくと働(はたら)かねばならんのか?世間(せけん)の目(め)を気(き)にせず俺(おれ)と一緒(いっしょ)に気楽(きらく)に暮(くら)さないか!?」といった。
誠実な平均値は何ですか?
これに対(たい)して孔子様は、「私(わたし)は別(べつ)に世間受(う)けを狙(ねら)ってあくせくしている訳(わけ)ではありません。自分(じぶん)さえ良(よ)ければと殻(から)に閉(と)じこもって独(ひと)り善(よ)がりになっているのがいやなんです。近所(きんじょ)で困(こま)っている人がいたら、助(たす)けてあげるのが当(あ)たり前(まえ)じゃないですか!?」とおっしゃった。
〔親御さんへ〕
最後のワンフレーズは付け足しになりましたが、この方が子供達には分り易いでしょう。
人はすべからく血縁・地縁・人縁・時縁の中で生かされているのであって、ポツンと分離孤立して生きている人間� ��ど一人もおりません。
「イ〜ヤ、俺は天涯孤独だ!」などと息巻いてみた所で、「じゃあ君を産んでくれたのは誰なんだ?」と問われれば、「親だ!」と答える他はない。
どのように司教会議は2012年、同性に投票しました
「しかし、赤ん坊の時に捨てられた!」と反論してみても、「じゃあ誰が育ててくれたんだ?誰が言葉を教えてくれたんだ?誰が文字を教えてくれたんだ?誰が仕事を教えてくれたんだ?」となると、もう返す言葉がありません。
今こうやって人間として生きていられるってことは、人に育てられたから人間でいられるのであって、猿に育てられれば猿でいる他はないし、狼に育てられれば狼でいる他はないんですね、インドの狼少女アマラとカマラのように。
人は自分一人で生きている存在ではないんです、様々な縁によりて生かされている存在なんです。
ここが分かれば、血縁・地縁・人縁・時縁どれ一つとして粗末にでき� ��いものばかりです。
だから口を酸っぱくして云うんです、「縁を大切にする者は縁によりて活かされ、縁を粗末にする者は縁に見捨てられる!」と。
私ごときが生意気にも、「孔子教学は別名『活縁の学』である!」という理由もここにあるんですね。
近頃どうも商売がうまく行かない!?人間関係がうまく行かない!?という方は、ここをよく反省してみたら良い、「縁を粗末にして来なかったか?」を。
縁を大切にしても商売がうまく行くとは限らないのに、縁を粗末にしたら、繁盛する筈がないでしょう?虫が良過ぎるってもんですよ、それは!
店主がお客様の顔と名前を千人くらい覚えられなくてどうします!?
立地がどうの?競合店がどうの?景気がどうの?と云う前に、まず商売のいろはを実践してみなさい!縁を活かす「活縁する」ということを。
商売は「する」ものじゃない、「させてもらう」ものだ 。
何故か?それは、お客様との縁があって初めて成り立つものだから。
〔一言メッセージ〕
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