預言者は人間にアッラーの法を教えた
預言者が遣わされたもう一つの理由は、人々にアッラーの命を伝えることである。日に五回礼拝すること、断食月に断食すること、ザカートを支払うこと、不正な性的交わり、アルコール、ギャンブルの禁止などである。そう、詳細の点で異なっていても全ての預言者は同じメッセージを伝えたのである。
預言者なしでは我々はこのようなことを知るすべがなかった。預言者のこの働きは「お告げ」と言われるもので、聖クルアーンで次のように述べられている。
「アッラーのお告げを伝える者たちは、かれを畏れ、アッラー以外の何者をも畏れない」(部族連合章33/39)
「使徒よ、主からあなたにくだされたものを述べ伝えなさい。あなたがそれをしないなら、かれの啓示を述べ伝える使命は果たせないであろう。アッラーは、人々からあなたを守護なさる。アッラーは決して不信心の民を導かれない」(食卓章5/67)
アッラーの御使いの使命は、人類を彼らの生活の全ての次元において啓発することであった。だから、アッラーのお告げを伝える上でどんな小さな見落としも許されなかった。それは人類を暗闇に置き去りにしてしまう許されない過ちだったからである。だから預言者ムハンマドは常に、純粋な心と精神の模索を続けていた。
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預言者ムハンマドは、アブー・バクルやウマルのような人たちには数回神のお告げを述べただけだが、アブー・ジャハルのような人たちには少なくとも50回は同じことを説明したに違いない。彼らに会うたびに「アッラーの他に神なし、と宣言しなさい、そして救われなさい」と言われたことだろう。そして彼は人が集まっているところへ行って、この言葉を説かれた。
タイフでの布教
当時、マッカの周辺の、アラファト、ミナ、ムズダリファ、アカバのようなところで周期的に市が開かれていた。そして預言者ムハンマドは毎年それらの全てを訪問して、同じことを説き続けた。無関心さから始まった反応は、嘲笑、からかい、そして最終的には迫害、拷問へと続いた。それらは耐えられない状態に達し、マッカの多神教たちはもはや何の希望も与えなくなった。神の御使いはザイド・イブン・ハリザを連れて「タイフ」の地に行かれた。不幸にも、預言者ムハンマドはそこでも、激しい暴力と恐怖に直面した。タイフの子供たちは、道の両側から彼に石を投げつけた。そのお方の体は、石によって傷つけられていないところがないほどの状態だった。しかし、最終的に彼らは町を脱出することに成功し、は� ��陰に非難して、出血の手当てをした。預言者ムハンマドは両手を高く差し伸べ、神に懇願された。
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「アッラーよ、私の無力さ、弱さ、それから人々に軽視されてしまうことをあなたに訴えます。慈悲深き神よ。あなたは虐げられ、軽んじられた者たちの神であり、私の神であられます。私を誰の元に残されるのですか。私に汚い言葉を投げかけ、近寄ろうとしない人々にですか、私の任務を妨害する人々にですか。しかし、もしあなたが私に対して憤慨されてはいないのであれば、私が味わった苦痛や災いなどは何でもありません。ただ、さらにあなたの慈悲を私におかけください。アッラーよ、あなたの怒りに触れることから、あなたの承認を得られないことから、あなたの光に助けを求めます。あなたが認めてくださるまで、あなたの赦しをお待ち続けます。 アッラーよ、全ての力はあなたのものです」
預言者ムハンマドがこのように祈っていると、そのそばに静かにある者が近づいた。そして皿に盛ったぶどうの房を預言者ムハンマドに差し出し「どうぞ、これを召し上がってください」と言った。預言者ムハンマドは、手を皿に伸ばす時「ビスミッラー」(アッラーの御名で...)と言われた。ぶどうを差し出した、アッダースという名の奴隷は、これに驚、尋ねた。「あなたはどなたですか」預言者ムハンマドは答えられた。「私は最後の預言者です」アッダースは彼に近づき、口つけをした。何年も捜し求めた者をその時に見つけ、しかも全く予想しない形で対面したのであった。彼はすぐに預言者を信じ、教えに従った。
誰が本の啓示を書いた
もし、この出来事がなければ、タイフの地から預言者ムハンマドは悲しみにくれて戻られるところであった。この悲しみは、そのお方に対してなされたことによるものではなく、たった一人の者にさえ、何も説明できなかったことによるものであった。しかし、もはや預言者ムハンマドは、喜びで宙に舞うほどであった。なぜならアッダースは、このお方の手によって教えを受け入れたからである。預言者ムハンマドは預言者たちの頭であった。
常に、各地で真実を捜し求める心の綺麗な者を探し、それを見つけると、その心をとらえ、教えを説いた。このようにして、信仰する者は毎日少しずつ増えていき、増えるに従って、不信心者は怒りを増していった。今日、この世界で、イスラームに対して、不信心者が怒り狂っているように、その時代にも、彼の周囲の信者が増えるにしたがって、不信心者は怒り狂っていた。この怒りは、彼らを袋小路に追い込み、ついには空の太陽を息で吹き消してしまおうとするかのように、完全にこの神の光を消そうと努め始めた。ここでの太陽はただ一つの例であり、彼のもたらした光は、太陽に光を与える存在である。なぜならその光は神の光であるからである。聖クルアーンの章は、彼らのこの状態を次のように述べている。
「彼らは口先で、アッラーの御光(イスラーム)を消そうと望んでいるが、たとえ不信心者が嫌おうとも、アッラーは彼の御光を全うされる」(悔悟章9/32)
もしアッラーがろうそくに火をともされたら、それを吹き消すことは不可能である。
マッカがもはや預言者ムハンマドを保護しなくなったため、預言者ムハンマドはマディーナへ移住された。そこで、イスラームへの呼びかけを続けられた。このお方はそこでも、ユダヤ教徒たちの敵意と偽善者たちに直面し、10年にわたって戦い続けなければならなかった。
別れの説教
預言者としての使命を果たし始めて23年目に、預言者ムハンマドは別れの時が近づいてきているのを感じられた。預言者ムハンマドはそれまでにすでにウムラを行なわれてはいたが「ハッジ」(巡礼)をなさったことがなかった。その年彼はこの神聖な義務を果たされた。預言者ムハンマドはラクダの背に乗ってアラファトの丘を登られ「別れの説教」として知られている説教をなされた。この説教でこのお方は、言っておかなければならない全てのことを言い尽くされようと努められた。裁きのことについて、女性の権利のことについて、利子について、国家と部族とにおける関係についてなど、さまざまなことを説かれた。そして、しばしば聴衆に、アッラーのメッセージを伝達できたがどうか尋ねられた。そのたびに� ��衆からはい、という返事が得られ、預言者は人差し指を上に向けて「アッラーよ、証人になってください」と言われた。
預言者ムハンマドは、任務を果たされた。そのため、心の平安の中におられた。
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